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【平和は、笑顔からはじまります!】

先日、不思議な体験をしました。

NHKの笑いヨガ教室を終えバスを待っている時、ふと!後ろを振り向くとカトリック手取教会にマザー・テレサの写真が大きく掲げてありました。

何時もなら気にもとめないのですが、先日終了したヨーガ教師養成講座(YIC)を学んだ後だったので私の目に飛び込んできたので、思わずシャッターを切りました。

その夜は、友人が経営する学習塾、明光義塾20周年記念講演会に参加して、木下晴

弘講師の「君に伝えたい幸せの法則」の中で、マザー・テレサの話があり、心から感動しました。

中高校生向けにて「熱く・優しく・丁寧に」語りかけられました。

子ども達の心にも響いたと思います。

改めて心の教育の必要性を実感しました。

法則1「人に与えたものは必ず自分に還る」

法則2「自分への存在承認が幸せの第一歩」

法則3「あきらめることなく課題に向き合い続けることで成長が約束され人生は光り輝く」

不諦心が大切と話されていました。

でも、不思議ですね!!何かわかりませんが、目に見えないパワーを感じました。

これぞ、魂の呼びかけなのでしょうか。

その想いを整理することにしました。

ヨーガ教師養成講座(YIC)で1年間学んだことを振り返ってみます。

第8回目の授業で、「カルマ・ヨーガとは何か」について学びました。

再度、教科書(ヨーガ療法士養成前期(YIC)講座・講義資料集)を読み直して、

インドで何千年も前から培われてきた「ヨーガ」は単なるエクササイズではなくむしろ

「人の生き方として、毎日の実践から哲学にいたるまで」

総括的なものだと改めて気付きました。

教科書に二人の人物が紹介されています。

その一人が「マザー・テレサ」です。

~あなたの中の最良のものを~

人は不合理、非論理、利己的です 

  気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう

  気にすることなく、善を行いなさい

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう

  気にすることなく、やり遂げなさい

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう

  気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう

  気にすることなく、正直で誠実でありつづけなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう

  気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう

  気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい

たとえそれが十分でなくても

  気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはずです

  結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです

  あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです

この詩は、ケント・M・キース氏が大学時代に書いた

「逆説の10カ条」が原文だそうです。

(人生の意味を見つけるための逆説の10カ条)

1.人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。

  それでもなお、人を愛しなさい。

2.何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだ

  と人に責められるだろう。

  それでもなお、良いことをしなさい。

3.成功すれば、うその友達と本物の敵を得ることになる。

  それでもなお、成功しなさい。

4.今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。

  それでもなお、良いことをしなさい。

5.正直で素直なあり方はあなたを無防備にするだろう。

  それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。

6.最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって打ち

  落とされるかもしれない。

  それでもなお、大きな考えをもちなさい。

7.人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。

  それでもなお、弱者のために戦いなさい。

8.何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。

  それでもなお、築きあげなさい。

9.人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもし

  れない。

  それでもなお、人を助けなさい。

10.世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。

   それでもなお、世界のために最善をつくしなさい。

ハーバード大学の学生だった19歳のケント氏が高校生向けの小冊子に書いたとは。

こんな話を聞きました。

「若者たちのユースキャンプで高校生に披露したが、

 主催者の大人たちの怒りに触れたそうです。」凄い方ですね。

マザー・テレサがこの詩を自らの講話に引用して世界に広め格言となったのです。

特に最後の一節に注目!!

You see, in the final analysis, it is between you and God;

It was never between you and them anyway.

“結局は全てあなたと内なる神との間のことなのです

あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです”

この部分はマザー・テレサ自身の言葉だそうです。

この部分がなければ、素通りしてしまいそうな言葉たちですが、この一節があるからこそ、この文章全体に力が吹き込まれるような感じがします。

“すべては神と私との間のこと”“すべてのカルマ(行為)の中に神をみること”これこそマザーの行為すべての根底にあるものなのです。

もう一人が「ビスマルク」です。

ドイツ帝国初代宰相を務めたオットー・フォン・ビスマルクの言葉です。

「青年にすすめたいことは三語につきる。すなわち働け、もっと働け、あくまで働け」

ビスマルクの言葉を理解するのは本当に大変でした。

ヨ-ガの教えには、アシュタンガ=八支則(はっしそく)という8つの段階・行法があります。

第二段階「勧戒(かんかい)」の教えの中で、ビスマルクの言葉の真意を理解することが出来ました。

「ヤマ」・「ニヤマ」は、日々の社会的・個人的行動規範となり、もっとも基本的かつ実践するのが難しいとも言える教えとなります。

第一段階:ヤマ(Yama)/禁戒(きんかい)「日常生活で行なってはいけない5つの心得」

①アヒムサ(Ahimsa)/非暴力、不殺生

 いかなる生きとし生けるものも殺してはいけない。行動、言葉、思考のレベルで他者に暴

 力をふるってはいけない。

 誰に対しても怒りを抱かないこと。もとの語源は、”苦痛を引き起こさないこと”。自分自

 身を大切にすることから始まる。

②サティヤ(Satya)/嘘をつかないこと

 自分の利益やエゴを守るために、嘘をついてはいけない。ただし、他者を傷つけるような

 ことであれば、真実であっても言わない。

 その場合は、きちんと言わない理由を正直に言えばよい。第一にアヒムサ(非暴力)が優

 先される。

 嘘をつかずに誠実でいるためには、言動、言葉、思考を日頃から一致させることを心がけ

 、自分に正直に生き、心が穏やかな状態でなければなりません。

③アスティヤ(Asteya)/不盗

 他人の物、時間、信頼、権利、利益などを盗んではいけない。自己中心的な行動はやめな

 さいという教え。

 自分自身がちっぽけな肉体だと思うところから、その肉体の感覚を満たそうと執着が生じ

 たり、名声やよい評判を得ようというエゴが生まれる。約束の時間に遅刻したり、行列に

 割り込んだり、 相手の話をきちんと聞かずに遮って自分が話すことも他人の時間を盗んで

 いることとされ、アスティヤ(不盗)に反します。

 物やお金、地位、名声など、常に変化し続ける外の世界には真の幸福はありません。

 どのようなものごとにも、人間関係や楽しかった思い出さえも、執着しない状態でいるこ

 とが一つの鍵です。

④ブラフマチャリヤ(Brahmacharya)/禁欲

 もともとは、性欲に代表されるような、エネルギーの無駄使いをしてはならないことをせ

 ず、生涯を独身で過ごすことが説かれていた。

 現代では、パートナー以外の異性とむやみに性的関係を持たないことの他、利己的な欲を

 満たそうとするのは避けることとされている。生命エネルギーは必要なところに集中させ

 ることが禁欲の本質。

⑤アパリグラハ(Aparigraha)/不貪

 貪欲さを捨てること。次から次へと湧き起こる、尽きることのない欲望に身を任せない。

 何かを必要以上に所有しない。

 程度を超えた欲を持たず、独占欲を抑えることでもあります。必要以上に所有すると、執

 着がわいて、それを失うことへの恐れや他者への怒りと嫉妬を生みます。アパリグラハの

 実践は、外の物質世界に縛られず、自らに満足感をもたらし、寛容になり他者から奪うの

 ではなく、与えることにつながります。

第二段階:ニヤマ(Niyama)/勧戒(きんかい)「日常生活で実践すべき5つの行い」

①シャウチャ(Saucha)/清浄  自分の身体と心をいつもきれいな状態に保つこと。他人に不快感を与えないよう、身だし

 なみを整えることももちろんのこと身の回りの空間を清潔に保つことも含まれる。心の清

 浄さとは、嫉妬や嫌悪などネガティブ な感情と思考を排除するよう心がける。慈悲喜捨の

 精神。不幸な人には、憐憫の情を立派な人がいたら自分もそうありたいと精進し、嫉妬す

 るのではなく敬う。受け入れ難い人がいたら、攻撃するのではなく、距離を置き、反面教

 師として自分の精進にする。

②サントーシャ(Santosha)/満足、知足

 今あるものに、常に満足すること。自分の周りにあるもの(環境、今置かれている状況、

 人間関係、自分の能力、健康、物質的なものもすべて)、ヨガの基本的な思想の一つは因

 果律。今置かれている状況は先に何か原因があり、ここに理由があって必然であると考え

 る。なので、あるがままそれ自体で、すでに完璧である。そして、今、どんなに苦しく思

 える状況でさえも、実は何か成長のためのステップアップの機会かもしれず、今そこに何

 かしらの判断を加えることは無意味である。人は身の回りのものごとは当たり前だと思い

 感謝を忘れ、無くしてみて初めてそれが、かけがえのないものだったことに気が付く。健

 康も愛する人の存在も同様に。

 また、人の欲望は尽きることがなく、外の状況や変化してしまう諸々のことに幸福を求め

 る限り、真の幸福は見つからない。

 自分自身で、今あることに感謝をし満足することが真の幸福への近道だ。

③タパス(Tapas)/苦行、自制

 精神鍛錬のために困難なことを実行すること。または、人間として生きていく限り避けら

 れない人生のさまざまな問題や試練を受け入れる強さを培うこと。ただし、ただ単に自分

 を痛めつけたり、我慢することはアヒムサ(非暴力」に反する。

 どんなに苦しい状況や試練に出逢っても、自分の成長の糧として受け入れられる強さを養

 うために実践する。

④スヴァディアーヤ(Svadhyaya)/読誦、学習、向上心

 心を調える働きを持つ書物(聖典、マントラ、名著、人格者が書いた本、本質的なことが

 書かれている本など)を読むこと。

 自分の心を善い方向に導いてくれる本を読むこと。得た知識を実生活を通じて、智慧に昇

 華させ、人格を成長させることを意味しています。

⑤イーシュワラ・プラニダーナ(Ishvarapranidhana)/自在神記念、信仰

 唯一絶対なる存在(宗教では”神”と表現される)に信仰心を持ち、それに祈りを捧げるこ

 と。自らに備わっている神性を信じること。

 万物に対して、感謝と尊敬の気持ちを持ち、献身的な心を持って生きようとすること。

 自分ではどうすることもできないこと(自然の力、時代の変化など)を受け入れ、身を委

 ねること。 第三段階:アーサナ(Asana)/坐法「体位法(たいいほう)」

 瞑想を深めるための座法。もともとは単なるポーズではなく、瞑想を行なうための姿勢や

 道具を指すアースが語源である。

 様々なポーズの実践により、体を鍛錬し、長時間の瞑想に耐えうる状態をつくる。また、

 心と体はつながっているので、身体能力の向上は、心の調整にもつながる。ポーズは、安

 定していること、快適であることが理想形。そして、冷静かつ客観的に、自分の身体感覚

 や心の状態を観察し、他者と自分を比べたり判断することなく、こだわりをなくし、その

 空間と一つとなるような感覚で集中していく。

第四段階:プラーナヤーマ(Pranayama)/「呼吸法・調気法(ちょうきほう)」

 瞑想を深めるために呼吸を整えること。「プラーナ」は生命エネルギーのこと。「プラー

 ナヤーマ」は呼吸をコントロールすることによって、体内の見えないエネルギーを調整す

 ることを指す。呼吸と心と体の状態はつながっていて、呼吸が落ち着いて安定してれば心

 も穏やかで、体はリラックスする。

 呼吸のもうひとつの目的は、血液や脳により酸素や影響を与えること。

 理想的に呼吸を深めていくためには、正しい姿勢を心がけることが必要。つまりアーサナ

 の実践を通じ、身体を鍛錬することが必要になる。

第五段階:プラティヤハーラ(Pratyahara)/「感覚の制御」

 感覚への意識を深め、繊細に感じること。外側に向いている五感の知覚を、内側に方向づ

 け、内的感覚を高める。

 感覚を内側に向ける練習をしなければ、瞑想の境地に到達することはできない。感覚に意

 識を向け続ける。

 アーサナを実践していても、決して、感覚を我慢したり抑えつけたりするのではなく、そ

 れを感じている自分を常に冷静・客観視していく。これは、日々起きてくる様々な出来事

 や問題に、感情を振り回されるのではなく、何が起ころうともブレない自分を作る精神の

 鍛錬につながっていく。

 この先の「ダーラナ」「ディアーナ」「サマーディ」の3段階は、区切りの付けられない一

 連の心の流れとなる。

 それぞれ、瞑想状態の深さの程度が異なります。

第六段階:ダーラナ(Dharana)/「集中・精神統一」

 意識を特定の対象物に長時間留めておくこと。心が集中すればするほど、一点に向かう大

 きなパワーが生まれます。

第七段階:ディアナ(Dhyana)/「瞑想」

 仏教の〈禅〉は、サンスクリット語で〈瞑想)を意味する、このDhyanaが語源だ。意識

 が積極的な努力なしに一方向に深く集中している状態。プラティヤハーラ(感覚制御)と

 ダーラナ(集中)が深まっている状態。自分と他を分け隔てなくなった意識の状態。

 雑念から解放された無我の境地。

第八段階:サマーディ(Samadhi)/「三昧、超意識、悟り」

 ヨガの最終目標。悟り。梵我一如。煩悩からの解放。解脱。

 瞑想がさらに深まり、集中の対象との一体感を感じている状態。瞑想の状態をかなり長い

 時間維持できるようになったらサマーディの状態に入ります。

タパス(苦行、自制)とは、日常において自らに課した「行」や仕事の積み重ねによって心身を強いものにして目標の実現力を高めます。

ビスマルクは、仕事を通して自己実現を言いたかったのではないのでしょうか。

人生の最終目的に到達するために、いかなる状況の下でも、燃え尽きるほどの努力をすること。

「情熱をもってエネルギッシュに働いて未来を切り開くときの喜び」を教えているのです。

なぜ、この二人が「カルマ・ヨーガ」につながるのか?理解するのに苦しみました。

カルマとはアクション(行為)のこと。

また、その結果も意味します。

アクションの積み重ねで人の性格も変わって行きます。

ですからアクションをいかに上手にしていくかがとても大事なこと。

そして行為の結果に対する思いを放棄することがカルマ・ヨーガです。

「マザー・テレサ」や「ビスマルク」から学んだことは・・・

私の「人生の最終目的?」をもう一度明確にして、結果を恐れず・求めず・自分に与えられたことをただひたすら一所懸命に汗を流すことが如何に大切であるか。

正しく、人間万事塞翁が馬です。

今回、ヨーガ教師養成講座(YIC)の復習をしましたが、読めば読むほど難解で、学び続けなければ駄目だと気付きました。

ビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言っています。

ヨーガの智慧を学ぶことが如何に大切であるかを知り学び続ける決心をしました。

話は戻りますが、木下晴弘講師の「君に伝えたい幸せの法則」の最後のメッセージ

にほとんどの方が涙を流し感動されたと思います。

それは、一人のプロ野球選手、元大リーガーの「ピート・グレイ(Pete Gray)」

のストーリーです。

人間は、凄い能力を持っていますね!!

「あなたの夢は何か、  あなたが目的としているものは何か、

 それさえしっかり持っているならば、

 必ずや道は開かれるであろう。」マハトマ・ガンジー

私を含めほとんどの人が、自分自身に最初から限界を決めているのではないでしょうか?

どうせ自分には・・・できない!無理だと!諦めています!

できない自分を嘆くより、励ましてくれる、

自分の命に、応えてみようと思います。

ヨーガは、実践の科学です!

頭で考えても中々理解できません。 自分で体験・体感し、実感して噛み砕かないと自分のものにはなりません。

これからです!!

最後にマザー・テレサの言葉で終わります。

Peace begins with a smile.

平和は、笑顔からはじまります。

1日5回あなたが本当は笑顔を見せたくない人に微笑みかけなさい。

それを平和のためにするのです。

最後まで、読んでいただき心から感謝です。

皆様のご意見・ご感想をお待ちしています。

合笑

お問い合わせ先:info@warai-yoga.org

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